出演者対談vol.2

出演者対談vol.2

■コンテンポラリーダンスって楽しいですか?または楽しみ方について

柴:それはやる方の楽しみ方ってことかな?見る方の?

坂:見る方かな、やる方は楽しいですよね?

柴:そうだね、贅沢な遊びみたいな。
多分、コンテンポラリーって、いろんなところにアイデアが発生して良いもので、他のジャンルの人もやっている事ではあるけど、更に表現方法が自由。「そんなこと、やってるんだ、すごいね」っていうことになるものが多い気がする。
動きの成り立ちも、元々がイマジネーションからだったり、体をこういう風にこっちをねじったら此処がこうなって等様々で。
誰かが作ったものだとそこにはまっていくっていうことが、ある意味で「上手になる」っていうことの一つだとすると、コンテンポラリーは「勝手に自分でどんどん作っていいってことですよね」みたいなのもやり方として楽しいというのもあるから、コンテンポラリーやる楽しみは果てしないよね。

町:ダンスを見に行って、自分の足を劇場まで運ぶっていう労力と時間があるじゃないですか。投資するっていうか。
例えば一方で「ミロのヴィーナス」や「ピカソ」など美術とかは抽象的で何が書いてあるのかわからないけど、受け入れられてるじゃないですか。それは日常に浸透して、そこに執着する人と、見過ごす人っていうのはすごく自由で「そこにあるのは知ってる」っていうことで。美術界のコンテンポラリーアートな訳ですが・・・受け入れられてる。
だからダンスも同様にコンテンポラリーダンスを受け入れてくれたらいいのになと思いますけど。
なんか、ダンスはやっぱ“コンテンポラリーダンス”っていう言葉が大きくて、そこに対しての抵抗がある人が多いですよね。世の中には、いっぱい現代アートとか音楽とかいくらでもあるのに、それには抵抗なく受け入れている人がいたりして。ダンスも変化していってるっていうことだけなのになぁと思いますけど。

柴:観客にしても観る方法が要求される場合がある。
例えばテレビじゃないから自分で観るべき場所をフォーカスするっていう方法だったり。
自分で「金払ってんねんから、楽しんでやろう」っていう気持ちみたいなもの?ディズニーランドに行って、ただ歩いてる訳じゃなくて、皆必死で乗り物に乗りに行くわけでしょ?その感覚みたいなのがあれば、これは本当にストーリーがないものでも全部・・・

薬:一時間の作品で「?」しか浮かんでなかったら、その一時間苦痛でしかないですよね。(笑)

坂:私も公演で制作やった際に自分が良いと思った作品がアンケートなどで「解らなかった」と言うわれる事があってなんでだろうと。

柴:ま、「解らなかった。」の中にも色々あるから。そもそも「解らなかった。」って言われがちだし。(笑)

薬:よく言われますよね、「解らなかったけど、照明きれいだった。」とか。

柴:でも、それって十分だと思ってて、その「一瞬が良かった。」でも良くて。

町:コンテンポラリーの作品自体、別にストーリーを伝えることとか、ハッピーにさせるとかが目的じゃないっていうのが前提にあるんでしょうね・・・。
さっき言ってた、作家さんも、作家さん自体が解らせようとしてないっていうのと、ダンサーと観客の両方に苦痛を与えさせるんじゃないんですかね、脳に刺激を与えることがアートだとおもうので、ある種のストレスを与えようとしてやった結果なのかもしれない。

 

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