街の所々に2016年の終わりを迎えようとする雰囲気と、新しい年の始まりを待つ雰囲気とが混同し始めた。
そんな狭間の曖昧な場所が、自分のバランスを頼りに立てる気がして好きだったりする。
公演前の客入れで観客の目線から隠れて舞台の上にいる時とか、ベランダの窓を開けて内も外も曖昧にした所から外を見たりとか。
「何」という単語が当てはまらない、その場所に自分が居る事が嬉しい。
帯に短し襷に長しなんて言葉もあるが、まるで中途半端な状態で存在するそれは、逆に多様性に満ち、押し付け過ぎない存在を提示してくれる。
さてさて、来年の予定が少しずつ固まる時期でもある。
年明け一発目は「光の部屋」、タティアナの「Calma」から始まる。
東京と北海道で公演をする試みであるが、改めて文字にしても無謀でしかない。
ま、やらなくてはというのが本心だ。
今年の本公演は10月。
それまでにカンパニーの底力を三段階くらい上げて挑みたい。
その為にまずは海外の強者と共にワークをする事をするというのと、レパートリーを踊り自分達の表現手段を更に磨く必要がある。
何より定期的に良質なダンス公演が国内で行われてる状況を作らなければならない。
劇場の腰が重い国内の状況には目を覆うばかりだが、言ってられない。責任は常に自分にかかる。
発信は常に自分達から。
このスタンスを作るのをやり続けないといけないし、その為の環境を整える事も来年からやり始めなくてはと画策している。
曖昧さはやはり末端と末端がしっかりと把握できたところに出来上がる。
来年の秋に向けてまずは新しさを獲得するゲスト振付家とのワーク、そして通り過ぎてきたレパートリーの再確認をするワーク。
二つの末端を経過し、新たな経験値を獲得したいと思う。
季節は4つではなく12くらいに別れてる方が日本的で良い。今は冬の頭。
好きな季節の一つ。
このまま完全なる冬を跳ばし冬の終わりを感じながら春の頭を待ちたいなと寒空の下漠然と感じた。
平原慎太郎